宮の観音 置賜第十番
六月十三日
最上川を渡って市街に入る。記憶が不確かなまま勢いで曲がってみたら、そのまま遍照寺、総宮神社に行き着いた。
総宮神社はライダーの聖地なのだそうだが、いはゆるライダーでも無ければ、その意図は全く知らない。
折しも祓への水無月。社殿の前には茅の輪が据えてあり、陽射しがひときわ強くなる
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隣が札所の観音堂。五年前の特別御開帳では豪勢な人出だった。普段の境内は静閑。柏手を打つも鐘を鳴らすも同行二人のみ
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森の観音 ── 長井橋 ── 総宮神社・宮の観音
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真言宗の古刹遍照寺。中興開山の宥日上人でも室町時代に遡る。
往時は末寺三〇余を率い、馬頭観音堂を本堂とする普門坊、総宮神社の別当坊など、山内にも六坊が構える常法談林の大寺だったと云う。
とは云うても、明治神仏分離の影響が少なくない置賜霊場にあって、神社と境内判然とせぬまま観音堂を保った事は、奇特な気がしてならない。
昭和七年、遍照寺が本堂や庫裡を一挙に失う火災に見舞われた時も、観音堂は難を逃れた
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御堂は江戸後期の建立にて納札貼付厳禁。今回の御開帳で出御なるは御前立、金色の馬頭尊。身を屈めて、四角い小さな穴から覗き見る体裁が、こそばゆい。
鎌倉期の作とも伝える秘仏本尊、馬頭観音立像は正規なら六十年に一度の開帳で、次回は二〇六二年。再びの拝観が叶ったとしたら相当おめでたい。
よもすがらつきをみあげておがむなり おきのかはせにたつはしらなみ
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大銀杏を写真に収めるには、朱印所の辺りでは近過ぎた。
■遍照寺史編纂委員会『長井遍照寺史』1973年
■長井市史編纂委員会『長井市史 第二巻 近世編』1982年
■後藤博『出羽百観音』1996年
■置賜日報社『置賜のお寺めぐり 3市5町の360寺総覧』2001年
■置賜民俗学会『置賜の民俗 第20号』2013年
■長井市史編纂委員会『長井市史 第二巻 近世編』1982年
■後藤博『出羽百観音』1996年
■置賜日報社『置賜のお寺めぐり 3市5町の360寺総覧』2001年
■置賜民俗学会『置賜の民俗 第20号』2013年
2019-06-19
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TOM
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