一卜町の千手観音
一卜町の千手観音
 十一月二十一日。別の調べものの折、この観音堂に短く触れた雑誌記事を見つけて、ようやく改めて訪ねる気になった。 山形三十三観音巡り以来だから五年ぶりか ... 現在は相生町の一部で市立第四小学校の東、古くは旅篭町の内であった一卜町いちぼくまち。 町並みは国道で分断されているが、南はかすがい口の通りの丁字路から、北は小橋町の神明神社へ下りてゆく寒河江旧街道までだったらしい。 当時の町のだいたい中間に、土蔵造の御堂が建っている。
 掲げられた扁額は「観世音大菩薩 山形市第廿七番」。山形札所の第二十七番が元々、一卜町の普門寺だった事は文献や石碑などで知られる。 資料に拠れば、修験で秋葉社別当も務めた普門寺は明治に廃され、更に明治四十四年五月の山形市北大火で焼失したが、札所本尊の千手観音は難を逃れたらしい ... 一般的な紹介では現在の二十七番は相生町の浄光寺であって、境内に千手観音の御堂がある。この辺りの経緯は不明のままだが ...
 話が点々まわり回って三日後、御堂の鍵を預かる方に案内を頂き、堂内を拝見することができた ... 御堂の中央には石の地蔵菩薩、一卜町にあった鉄渓山石泉寺の仏像と伝わる。向かって右に千手観音、左は弘法様。 仏堂明細として正しくは地蔵堂だが、地元ではあくまで観音堂。年に一度の祭礼は四月の第三日曜日に行うとか。 大正十五年四月、町内を越えてかなり多くの人々が浄財を出し合い、現在の御堂に「改築」されたと云う ...
 札所本尊の千手観世音立像は堀田侯の肌守、江戸時代には平重盛由来とも伝えられていた。全く異なる話で、六日町熊野権現との関係を示す史料もある。 御詠歌には旅篭町を織り込んで、かの国へいさのふために旅人のこもれる宿にいますみほとけ ... 山形三十三観音巡拝の際は相生町浄光寺の後で一卜町にも是非、と云う事かも知れない。その方が、取りこぼした感じに煩わされない。 長年の気がかりが、五分の二くらいは解けたか ...
■『山縣掌故』(山形市史資料 第21号, p.134-135)1970年
■『最上千種』(山形市史資料 第31号, p.38-45)1973年
■『山形城下新古銘細記』(山形市史資料 第40号, p.64-65)1975年
■『山形風流松木枕』(山形市史資料 第64号, p.28-29)1982年
■『山形石ひろい』(山形市史資料 第64号, p.128-129)1982年
■『風流松の木枕(一)』(山形市史資料 第79号, p.22-23)1991年
■『風流松の木枕(二)』(山形市史資料 第79号, p.34-35)1991年
■市村幸夫『旅篭町今昔 絵図に見る一卜町』(やまがた街角 2016年夏号, p.94-95)2016年

2017-11-26

TOM
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