今町寺
今町寺 中通り第一番
五月十五日 / 自宅 ── 今町寺
 これより中通り三十三観音の巡礼行、或いは蕪行と云おうか ... 明治二十五年八月、今町寺十三世の広運道明大和尚が諸寺に呼びかけて開かれた霊場。 羽州街道より西、最上川は渡らず、南は山形市今塚、北は東根市長瀞まで、三十三の寺院を巡る。 開設時の史料に拠る名称は「新西国村山三十三ヶ所」。各所の御詠歌も西国札所と同じものを用いる ... 資料を寄せ集めても案内はこの程度。初見の地多く、まずは順番通りに打ってみる。
 一番札所は今町の今町寺、いままちのこんちょうじ。 承応の開山以来、度々の水害に遭って古い記録は無いらしい。一方で水運の要地、舟着き場名残りの三本杉など伝える。 東に成生荘。元より境内は舟つき観音の祀られた地だったのだとか ... 境内の裏から広がる田畑を眺める限り、その舟着き場云々の気配はピンと来ず、地図を見直して漸く、そうなのかなとも思われる。 何れにしても昔から、観世音と縁の浅からぬ地と云う事で ...
 くだんの通り霊場発願の寺なれば、幾分かは気を引き締めて訪ねたものの、見事出だしから留守に中ってしまった ... 本堂の表に掲げる「新西国中通三十三観音霊場」の板は札所の標。以降の寺院でも山門などに見られる。 止むなく、蝋燭、線香、納札、賽銭、ひとつ袋にして本堂に供え、短く読経しておしまい。ふだらくや岸打つ波はみくまのの 那智のお山にひびく滝つ瀬 ... 巡礼道はしばらく南へ、山形に向かって札所が続く ...
五月二十九日
 前日に電話で参拝を約し、中通り二日目は済ませて再びの今町寺。促されるままに本堂の左奥へ進むと大悲閣、観世音の間が設けてあった ... 祭壇の西国三十三観音はそれぞれ御身一尺ありそうな。更に大きい中央の坐像こそ、西国第一番の如意輪尊。 以前の観音堂は老朽のため廃されたらしい。旧堂の向拝で睨みを利かせていた白龍のみ、三十三観音の上に残されてある。 御寺発祥に関わる舟つき荷揚げの聖観音は、何となく雅やか ...
 本堂の内に掲げた二つの大きな奉納額は明治二十五年、当時の今町寺の和尚が西国巡礼に旅立つ場面と、帰郷の場面を描く。 行く手はるかに那智山を望み、白装束の和尚を見送りまた出迎える長蛇の人々で画面が埋まる。結縁の一人一人に記名あり。 小雨だったのか、こうもり傘を差す人も ... そう多くない巡礼者の中、東日本大震災の後、県外からの参拝も見られる様になったとか。外に出ると燕が三羽四羽、境内を跳ね回っていた ...
■山形テレビ編『やまがたのお寺さん 第四集 −天童・東根・村山−』1980年
■大風印刷編『続・山形のお寺』2006年

2018-05-16 / 追記 2018-06-11

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106