小倉観音
小倉観音
 七月三十一日。薄沢まで戻って小倉へ。地図より多めに何度も曲がる気がしながら、くねくね高度を上げてゆく... ほぼ上り尽くすと、丘が開けて田圃が広がる。小倉村の家並の上方に観音堂の赤い屋根。西に遠く大朝日岳が霞み、白鷹山の左には小朝日や頭殿山まで揃っていた。 蔵王の方向は雲が厚い... 正午を過ぎて鳥居に至る。優しくない陽射しにやつれもせず、参道の紫陽花の白が気丈に見えた。ほどなく日陰に猫殿現わる...
 もと小倉山本蔵寺と称した御堂を、現在地に遷して再建したのは最上義光だと伝わる。更に延享・寛延の再建の棟札が残っていると云う。 御堂に掲げる「小倉山」の額は、寛延三年の再建時に納められたよう... 御本尊は伝行基御作。岩波の観世音と同じ木で造られた、との話もあるのが面白い。真偽は知らず、龍山圏の気配。 古くに観音別当を務めた寺も、境内地の別の寺も、みな天台の寺院だったとか。どちらも廃されて今は無い...
 上山二十九番。御堂に入って参拝する。内陣の奥深くに聖儔観世音、その御影は祭壇の写真で拝するのみ。 御詠歌、幾世ふる小倉のもみぢ夏しげみ たよるこかげや涼しかるらん。堂内の詠歌額では「小倉の山の」。もみぢ葉が茂った方が涼しそうか。 御朱印は長竜寺に、と書き付けた板は従来通り... 猫殿は石碑のひとつを昼寝の所と定めたらしい。こちらが鳥居の外に出たら、すぐ眠そうな顔になった。 次は県道を下って権現堂へ...
二十八番 永野堀切 ←《上山 二十九番》→ 三十番 権現堂
■中川郷土史編さん委員会『中川郷土史』1987年
■寺尾満『上山三十三観音』1998年

2016-08-04

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106