高野山観音
高野山観音
 九月二十二日、東通り巡礼五日の二つ目。おめでたい程に晴れ上がって、山あいに広がる棚田の稲穂もまんべん無く明るい... 県道から外れると観音堂の前で橋を渡る。橋には「のぎわばし」と記してあり、この辺りが野際なのだろう。ぽんぽこ村碑の方の標識に拠れば「ノンギャ」と読む様だが... 御堂はコざっぱりした広場にある。深沈として合掌中、何やらムーンと剣呑な音がすると思ったら、軒に大きな蜂の巣が付いていた...
 史料を眺める限り百番観音の発案は、慶応二年に御堂を建てた名主村山久四郎に依ると思える。自ら最上三十三所巡拝すること再三であったと云い、更に六十七ヶ所を加えて、本当に百ヶ所巡礼を考えていたらしい... 訪ねる度に気になる、広場の端の風貌奇抜な石碑。読めそうで読めず。側面からして祈願碑には違いない... 御詠歌、峰をわけ岸につたえて高の山 花のうてなに到るなるらん。次は関山街道へ戻りつつ二ヶ所続く...
 十五番 揚泉寺 ←《東通り三十三観音 十六番》→ 十七番 龍源寺
■『天童市史編集資料』第33号「最上百観音札所勧進序」。荒谷村の観音堂を護持する村形家が、村山久四郎の求めに応じて第四十五番札所を了解したと云う。 最上三十三観音とその周辺で百ヶ所を選定、西村山は結構広い。巡礼者は白米一升分の代金で宿泊できる、とまで取り決めた様だが、どの程度の巡礼が行われたかは分からない。

2015-09-24

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106