庭月観音
庭月観音
新庄駅---県道三〇八号---絵馬河観音---猿鼻街道---庭月観音---(河岸迷走)---鮭の子公園---県道四五八号---新庄南高校---鳥越八幡前---南新庄駅
 八月二十八日。最上巡礼七日、今日は庭月のみ。葉山の方角は雲が厚く、半袖では少し肌寒い。駅近くの広場でささやかな朝市が開いていた他は、ごく静かな一日の始まり... 県道の傍らに案内板「庭月観音10分」。もちろん自動車向け。そりゃ便利な時代になったもんだ、と無性に可笑しくなった。可笑しい対象が現代なのか、あるいは自分なのかは分からない... 緩やかな起伏を過ぎて上絵馬河。霧雨がそのまま強まり、集落の小さな地蔵堂の軒に逃げ込む。雨が上がるまで待ち切れず、わずかに遠回りでも猿鼻街道を越えると決めた。絵馬河の観音堂で雨具を羽織る...
 暗い雲の色を映して陰々とした街道の森。丘の最も高い辺りは幼い植林地で、不自然に開け過ぎていた。血の池も乗馬長嶺の展望所も見ず。京塚側には塚や祠も点在し、古い信仰が濃密に守られている... 何度か観音巡礼していると云う地元の人と立ち話になった。話によると結構な健脚。県道から外れて歩いている菅笠者を不思議そうに見ておられたが、山越えで来たと云うと流石に驚かれてしまった... 雨雲は去り、いよいよ庭月観音別当月蔵院の大屋根が迫る。さらさらと静かに光を返す鮭川。順打ちでは無いから打ち止め結願ではないものの、遂に最北の地まで歩いてきた感慨は深い...
 おかげさまでと門をくぐり、触れる手水の爽やかさ。なでると丈夫になると云う足形を、今後の行程無事にと握りしめる。御堂が見え始めて、賑やかな声が聞こえてきた... 観音堂の内には、近所の媼が三人集うていた。よく拝みに来るらしい。観音さま参りする人に悪い人はいない、と頻りに説いておられた。自らも含め、そうであって欲しいと思う... 六年ぶりに拝する聖観世音。静かに微笑み、ゆるやかに立つ姿は、物語の姫君が最後にたどり着くべき境地そのものか。御本尊をぼんやり見詰めている間、三人の媼たちは賑やかに、しかも案外早足で去っていった...
 本堂で朱印を頂きながら、寺の媼が幾つも話をしてくれた。鮭川の「鉄線を張った」渡し舟は戦後まで続いたとか、七所明神参りと称して新庄の祭りに行ったとか... 観音像を修復に出したら、内部に泥が溜まってあったとも。かつて大水で観音堂が流されたとの伝承があり、その時に観音様も流されたのだろう、と。現在地に庭月観音が落ち着いたのは戸沢氏の新庄入部以後。水災に悩まされた故地は「観音田」と呼ばれている... 煎餅まで頂戴して辞するも、御堂に忘れた水筒を取りに戻るやら、堤防を歩いたら川の合流点でUターンするやら。浮かれて油断するなと云う事か。斯くして黙々と新庄市街を通り抜け、鳥越八幡では余力無く、門前で一礼するにとどめた...
 御詠歌、よろづよの願ひを此処に頼みおく ほとけの庭の月ぞさやけき。次は南新庄駅から、二十六番の川前へ。
三十二番 太郎田 ←《最上三十三観音 三十三番》        

2014-08-30

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106