戦沢観音堂
戦沢観音堂
六月六日
小国郷一帯が大きな湖だった昔むかし、湖に棲んでいた三つ頭の大蛇と大蟹が戦いを始め、余りの激しさに西の山が崩れて湖の水が抜け、広い盆地が出来上がったと云う話。 天地鎮まって後、蟹に破れた大蛇のウロコを村人が拾い集めて、闘諍の舞台となった地に祀ったのが戦沢たたかいざわ観音であると続く。 資料に拠れば御本尊は小さな金銅仏で、普段は秘仏として別の場所で奉祀しているとか。 元は八幡太郎義家の持仏だったとの云い伝えもある様だが . . .
観音堂へは国道から戦沢の右岸を歩くより他に無い。小国西国の白い標識は目立たぬ処に立ててある。 沢の護岸は転落注意、陸羽東線は速やかに横断。杉林の中に赤い屋根の御堂が建つ。 傍に山神社の碑と石祠、相撲場もあったのだろうか。現在の観音堂は昭和の火災後の再建。 堂内に大きな聖観音が安置され、その足許に薄黒い物体が二つ。旧御堂が焼け落ちた際、木鼻の狛犬のみ助け出されたと云う。 小国西国十三番、小国郷七観音の第六番 . . .
■最上町文化財保護委員会『文化財資料(九)小国西国三十三観音と最上町の風土』1975年
■佐藤義則編『民俗民芸双書83 羽前小国郷の伝承』1980年

2024-06-28

TOM
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