新屋聖観音堂
新屋聖観音堂
六月六日
山刀伐トンネルを通過して富沢観音に行く手前、明神橋から国道を東へ少し進んで、 耕地に下るかの様な土道から再び川を渡り、田植えが終わって間もない静かな水田の先、木立の中に堂宇が二つ。 手前は山神の社か。小国西国の白い標識が立ち、参道の奥に「新屋聖観音」の案内板が置いてあった。 御堂の扉を開けて参拝。御本尊は正面観照気味の個性的な木彫仏で、金銅仏でも模した風な気もする。 右には小国西国二十四番、中山寺の観世音 . . .
出羽に入った松尾芭蕉は、東の笹森で明神川を渡って新屋を通り、山刀伐峠へ向かったと云う。 その頃に観音堂があったかは定かでないと云うてしまうと浪漫も無いが、宝暦年間には村で祀られていたらしい。 十余軒の集落は昭和のうちに人が離れ、暮らしや往来の記憶は、御堂の小さな林の中に凝縮している。 堂内数多の祈祷札は富沢観音東善院の奉納、毎年八月の祭礼は令和もなお続く。 御詠歌は西国二十四番に同じ。小国郷七観音の第一番 . . .
■最上町文化財保護委員会『文化財資料(九)小国西国三十三観音と最上町の風土』1975年

2024-06-14

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106