笹野観音
笹野観音 置賜第十九番
十月十日
遠山観音 ── 笹野観音 (幸徳院)
 西明寺から南への一本道。ぼんやり矢印に従って幸徳院境内の駐車場へ着いてしまい、参道を歩いて仁王門を一旦出てから入り直す。 十余年前の記憶は曖昧だったが、その真面目な風の楼門の、印象の稀薄さだけは覚えていた。観音堂が豪壮すぎる為かも知れない。 門は笹野の南東、南原の常慶院から明治の初めに移築したものだとか ... 県下屈指の威容とも云うべき笹野観音堂。置賜三十三観音を象徴する御堂のひとつには違いない ...
 縁起は坂上田村麻呂に遡り、徳一上人を開山とする。藩政期は歴代藩主が月々参拝し、事毎の修理にも尽力。 上杉家菩提寺の法音寺住職は代々、幸徳院別当を兼務していた。 天保四年の焼失後、同じ十四年に再建したのが現在の観音堂。上杉家の面目を注ぎ込むべく、隈なく荘厳した彫刻だけで七年掛かったらしい。 千鳥破風を正面に据えた屋根は、重厚な萱葺きで威厳を弥増す。一々張り出す尾垂木もまた勇ましい。御裏に羽黒大権現 ...
 内陣中央に黒身の本尊、千手千眼観世音菩薩を拝す。蓮台から光背まで一様に黒を纏う中で、眼の白と唇の朱が際立つ。 まゐりきていまにのぞみのささのやま にはのきぐさもるりのひかりぞ ... 古来祀られていた観世音と羽黒権現は、度々神威を顕して門前に落馬頻発した為、長井の宥日上人が秘仏として封じたと云う。 川を遡上してきた神木を三分し、三所に羽黒権現として祀った話なども含めて、何かの事情を伏せた気もするが ...
 境内をふらつく間も、ひとり又ひとり、或いは三々五々と参拝の人が訪れる。一刀彫の里、むしろ巡礼の方が少ないのかも知れない。 朱印を頂戴して、延命地蔵の巨尊だけは面と向かって撮っておいた。門前から少し離れて歩く海外の撮影隊。ふと白鷹深山の観音堂を顧みる ... 米沢城下を範囲とする米沢三十三観音では、第一番となる笹野観音。 置賜第十九番札所としても現在これより南に札所は無いが、敢えてもう少し南へ向かう ...
■長井市史編纂委員会『長井市史 第二巻 近世編』1982年
■後藤博『出羽百観音』1996年
■置賜日報社『置賜のお寺めぐり 3市5町の360寺総覧』2001年
■置賜民俗学会『置賜の民俗 第20号』2013年

2019-11-05

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106