高峰観音
高峰観音 置賜第二番
七月三十一日
自宅 ── 手ノ子 ── 高峰観音 (源居寺)
 ちょうど梅雨が明けた翌日、置賜巡礼の三日目。幾らか早めに出掛けて、白兎に葉山神社、寺泉は五所神社と挨拶回り。土は潤うてむし暑し。 手ノ子の手前の坂道を遅々と登ってゆく旅支度満載の自転車に、一句こしらえようとしたものの、迫る幹線国道の緊張感で字面が散り散りになる。 やがて源居寺の門前。日陰より黒々と聳える杉並木を通り、札所の観音堂に向かう。広い駐車場を前にすると、曾て山村の御堂と云う雰囲気は無い ...
 白川ダム建設の昭和四十六年、観音堂は源居寺に遷される。元は高峰の大鹿集落にあり、同地の高峯寺が別当だった。 傍にあった飯豊山への道を開いた南海の供養塔も、高峰根岸の禅定院に移転。集落は全く白川湖に沈み、跡形も無いと云う ... 本尊は小さな十一面観世音立像。伊達時代の手ノ子を預かり、源居寺開基でもある遠藤四郎左エ門の守り仏と伝わる。 ふるさとをはるばるここにきてみれば のりのしるしはあらたなるらん ...
 御堂の扉は開けられず、飾り気の無い内部は薄暗い。中央の厨子に観世音菩薩。両側に小さな菩薩像がひしめいていた。 多くは立像、ちらりと坐像も見える。三十三観音だろうか ... 御堂の外に掲げられた昭和八年の奉納額に目が留まる。当時の観音講の様子を描いたらしい。円座する御婦人方の中、姉さんかぶりの二人が踊っている。 色は褪せていても着物の柄や風物は端正。徳利に重箱に、銘々の器に入った料理が気になるところ ...
■長井市史編纂委員会『長井市史 第二巻 近世編』1982年
■後藤博『出羽百観音』1996年
■置賜日報社『置賜のお寺めぐり 3市5町の360寺総覧』2001年
■置賜民俗学会『置賜の民俗 第20号』2013年

2019-08-01

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106