五十川観音
五十川観音 置賜第三十一番
六月十三日
自宅 ── 荒砥 ── 五十川観音
 ひと月おいて置賜巡礼の二日目。できるだけ人も車も少なめな旧道を繋げて白鷹町を通過する。浅立の諏訪社をも今朝は会釈のみ。 さて長井市かと思う隙も無く、札所の赤い幟が現れた。家並の間の細道に入る。参道の石段の手前で下乗 ... 山の神の社殿に注連縄をのぞき込んでから観音堂へ。参道は一直線。途中から杉林を貫く。彼方此方に並ぶでもない板碑や石塔。 参道が尽きて広場の奥、厳めしく石を積んだ壇上に観音堂はある ...
 五十川観音の地は東五十川の生僧しょうずと呼ばれる。 長井の遍照寺中興、宥日上人の誕生の地である事に因み、上人が生まれた応永の頃は、観音堂の参道に僧坊が六つも構えていたと伝える。 その一つが最上川を挟んだ西五十川に遷り、観音別当の正寿院になった云々 ... 越後から来た村上氏による観音堂草創の話は更に遡るが、現在の御堂は宝暦十一年の再建だと云う。向拝に見上げる彫刻は、かつて彩色が施されていた気配を幽かに残す ...
 御堂の中を窺うと案外手前に、硝子ケースに入った御前立らしき千手観音像が見えた。 昭和の初めに唯一度だけ開かれた秘仏観世音は、二メートル余の一木造だったとか。古来変わらぬ御詠歌から察しても、現在は千手観音と云う事で収まっている。 いかがわとおもふはひとのまよひなり せんじゅのちかひいつもたへせぬ ... 朱印所の御宅は留守で、何も話は聞かれず終い。延々と響く洋楽の中、用意されていた朱印を頂戴して次へ ...
■新野豊松『長井村郷土誌』1954年
■長井市史編纂委員会『長井市史 第二巻 近世編』1982年
■新野豊松『五十川地区誌』1987年
■後藤博『出羽百観音』1996年
■置賜日報社『置賜のお寺めぐり 3市5町の360寺総覧』2001年
■置賜民俗学会『置賜の民俗 第20号』2013年

2019-06-15

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106