禅会寺
禅会寺 中通り第三十三番
十一月二日 / 長源寺 ── 禅会寺(打ち納め/九日目終了)
 明快な道筋と掘割に、かつての四角い平城の跡を遺す長瀞の町。 幕領期は城に御料役所が置かれ、長瀞のものなら犬猫であっても石を投げるな、と近隣に云わせるほどの威勢だったとか。 後に譜代の米津氏が陣屋を構え、戊辰の戦禍を被りながら明治を迎えた ... 巡礼打ち納めの禅会寺は、二の堀の西にある。応永年間、長瀞に入った最上満家が開基となって御寺を設けた。 先の長源寺と共に、こちらの山門も城から移築したと伝わる ...
 本堂の手前、黄色がかった横に長い建物が今の観音堂。以前の御堂には寛政十二年と記した棟札があったと云う。 地元の資料に拠れば、享保二年に禅会寺の堂宇を再建した富豪結城久右エ門が、後に楊柳観音を奉納。文久二年には篤信者により最上三十三観音像が揃えられた ... 住職に導かれ、本堂から渡した廊下を通って観音堂に入る。打ち納めならではの複雑な安堵感。 よろづよの願ひをここに納めおく 水は苔よりいづる谷ぐみ ...
 中通り三十三観音を一応終えた。札所はすべて寺院だったが、平時無住の寺はごく僅かで、殆どの札所で観世音に直接まみえる事が出来た。 元より新西国を称する霊場とは云え、西国三十三観音そのものを札所の観世音とする所が多い。 道に込められた西国霊場への並々ならぬ思いを、切々と感じながら巡っていた気がする ... 彼此と小話が転々とした後、禅会寺を辞した。もうあんなに甑岳が大きかったのかと、山門の傍で独り言つ ...
■山形テレビ編『やまがたのお寺さん 第四集 −天童・東根・村山−』1980年
■長瀞郷土史研究会編『今と昔 ながとろ』1989年
■(不明)『開創百周年記念 新西国中通札所 御詠歌』1992年 ※正法寺にて拝領。
■大風印刷編『続・山形のお寺』2006年

2018-11-19

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106