正光寺
正光寺 中通り第八番 附 灰塚の子安観音堂
五月二十九日 / 保福寺 ── 正光寺(二日目終了)
 保福寺から南へ道なり、灰塚に入って八幡神社の東隣が正光寺。境内では何か基礎工事中のところ、ぷらぷらとひと巡りして、御寺の人は本堂の内に居られた。 巡礼である旨を述べると、あちらにと広縁左の一隅を示され、無事に札所本尊を拝する。 彩色も明るい西国三十三観音の奥に、あわや等身大と見紛うほどの聖観世音が立っていた。 頭の上には大きめの宝塔を戴いている。いくたびも参るこころは初瀬でら 山も誓ひも深き谷川 ...
 立谷川と白川が須川に合して最上川へ流れ込む一帯は、古くから水害に悩まされてきた。 戦後の河川改修を経て、度々の辛苦は過去の物語となりつつも、昔の灰塚集落では水害を避ける為、一度ならず全戸の漸次移転が行われたと云う。 ... 正光寺も元和年間に開かれた当初は、現在地よりずっと西、立谷川の左岸にあったらしい。 安永十年に移転して当地に落ち着き、一時は伽藍の焼亡に遭いながらも、粛然と法灯を守っている云々 ...
 山門のはす向かいの小堂は子安観音堂で、資料に拠れば享保十六年の建立。観蓮院という法印が別当だったとか。 堂内を覗くと祭壇に菩薩形の坐像。昭和四十年の御堂再建の写真も見えた。かのきしにくかいのふねをのりだして こうをつむらんはいづかのさと。 川東札所二十一番の様だが、その忘れた頃に行き当たる川東三十三所と云うものが、よく判らないまま ... 巡礼二日目はここまで。と云いつつ午後は、一番札所の今町寺を拝観。
■山形テレビ編『やまがたのお寺さん 第二集 −山形市の一部と山辺・中山−』1978年
■明治地区郷土史編集委員会『ふるさと明治』1989年
■大風印刷編『山形のお寺』2000年

2018-06-09

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106