久野本十一面観音堂
久野本十一面観音堂
 十月二十三日、東通り巡礼七日を巡る前に立ち寄った。天童三十三観音の打ち止め三十三番の御堂。前回の青柳堂の後に参れば良かったものを... 天童三十三観音は嘉永三年の創設。各札所の御本尊の発願は、天童城下の商人達であったと云う。 創設当初の具合は不明瞭で、元は三十三ヶ所に点在したものが、明治以降早い段階で集約が行われ、現在は二十ヶ所で一巡となる。特に舞鶴山の西麓では、三つ四つの札所を兼ねる所もある...
 観音堂は静かな住宅地にある。古くはすぐ北の山口街道(関山街道)沿いに建っていたらしい。それで山口海道観音堂とも呼ぶそうだが、よくわからない.. .資料に記された嘉永建立の石鳥居は無い。現在の鳥居は金属製。ひと組の献灯柱に、ブラジル移民の文字と名前が刻まれていた。ただ年号を見るより往時の気配の様なものを感じる... 天童札所の御詠歌は西国と同じ。御堂の内外に満願谷汲山の詠歌額が幾つも納めてあった...
■天童三十三観音の札所を実質二十ヶ所と数えたのは、斎藤隆一『嘉永三年創建 天童三十三観音札所考』(一九九四年四月調査)に拠ったが、現在は更に少ない可能性がある。詳細は三宝寺の附記にて。(2015-10-26)

2015-10-23

TOM
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@rondino2106