長登観音
長登観音
羽前高松駅---新臥竜橋---白岩---長登観音
 九月十六日。最上巡礼十日の一つ目。まず旧国道にて白岩に入る。まもなく雨となった。この巡礼中にして初の本降り。これまで小雨や霧雨の程度しか遭わなかったのが、たまたま幸いだったのだ... 菅笠の内は想像以上に濡れない。ただ、風を避ける為にも前屈みになると、笠の端から落ちる滴が靴を直撃した。いずれにせよ歩道を行く人なぞ気にも留めぬ大型車両が走り抜けると、全身に雨が叩き付けられる... 熊野川を過ぎた頃、雲の一角が崩れて青い空が覗いているのに気付いた。晴れてくれるかと期待しながら石段をながのぼり。ひとつひとつの段差が高め。誰に褒められるでもなく観音堂まで直線一気...
 雨具菅笠を杖に被せて、向拝の柱に立て掛ける。静かに御堂の扉を開くと、幽かに香の匂いがした。一日の初めの勤行は、今日も道中無事にと願いがひとつ加わる。雨だれの音が少しずつ小さくなってゆく... 下りは「少し楽な山道」を通ってみたが、濡れて滑りやすく、楽な心地はしなかった。膝には楽だったのだろう、と云う事にして鳥居で一礼。すぐ去るものと軽く雨具を羽織ったまま朱印を請うたが、促されて縁側に腰を下ろす... 自家製ヨーグルトを頂きながら話題が幾つも変転する。別当長登氏は六十里越街道の整備に尽力した家であり、当代は街道のガイドもしているとか。以前は鯉が泳いでいた庭の池には、めだかを放しているそうだが、見えなかった...
 かつて観音堂が立っていた故地について尋ねると、案内無しではたどり着けぬような状態らしい。鬱蒼となる前は山形市街も望めたと云う。池のような水場があり、誰に知られるでもなく水芭蕉が多く咲いていたと... 寛政の巡礼記でも、栗や榧の実を獣が喰い散らした跡を踏みながら「人は不行と見へし」と語る。村から往復一里余り。書籍に山奥二〇キロとあるのは単純な誤りで、これでは十分一峠まで達してしまう勢いだが、そのまま引用した本があるのは切ない... 会話しながら実は、掛けられた十句観音経に見惚れていた。経の心が顕れたような書の風、いつまで眺めても厭きない。お陰で靴がすっかり乾いてしまったが、ちょっとのんびりし過ぎた。出来立ての青空の下、ふたたび歩き出す...
 御詠歌、山を分け岸をつたひて長登 花のうてなにいたるなるらん。次は寒河江市街、十六番の長岡へ。
十六番 長岡 ←《最上三十三観音 十七番》→ 十八番 岩木

2014-09-16

TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106