雪の観音堂
七月九日。父母報恩寺は小松沢観音へ上る道の麓にある。明治三十六年の開山。重厚な本堂を装飾する神獣たちの、とぼけた表情が人なつこい...
観音堂だけ、何故か奈良時代。唐招提寺金堂を模倣縮形、と縁起板に種明かししてある。以前初めて訪ねた時は、近世調の大寺に浪漫的な名称を持った天平風の建造物、と云う事態に戸惑ったが...
雪害救済運動を提唱した松岡俊三の発願による「雪の観音堂」。御堂は元々、松岡の有力支援者の一人が造らせたものらしい。なぜ唐招提寺だったのかは知らないが、間もなく松岡の業績を記念して現在地に移築。昭和十年に完成...
本尊は恵心僧都源信の作と伝える聖観音立像。当寺開山白雄和尚の御持仏だった。松岡の伯父にして師であった和尚は、また傑僧としても知られ、各地の浄土宗寺院の資料に見掛ける...
戦後に松岡が率いた開拓団の入植地、村山市の雪の観音郷の地名は此の観世音から取られた。雪国の貧困問題に立ち向かった雪害居士のモニュメント。詣でる名士も少なくないと聞く。
かかげずば千代も八千代もうずもれん かかげて照らせのりのともしび...
2013-07-20
previous . . .
TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106