天然寺
五月二十九日。最上新西国第十番ということだったが、残念ながら現在は、巡礼なぞ相手にしない模様...
相手にしないだけなら毒気も無いが、応対の寺庭婦人にとっては「観音信仰のような卑俗で無意味なものを訪ねて歩く者は不審だ」と云うことだったらしい...
自説と学歴と人脈等々を延々と披瀝するところ疲れるを知らず。念仏に命を懸けている、阿弥陀仏しか信じない、人間なんか信用しない、と...
ちり紙をむしりながら際限無くわめく。何に怯えているのか、気の毒になった...
■辛抱して話を断片的に拾うと、件の御婦人が把握している範囲で御寺の観世音は、二組ある阿弥陀三尊の脇侍のよう。二つの阿弥陀仏は立像と坐像、脇侍の姿は聞く事ができなかった。
かつて観音講もあったらしいが、今は詠唱の会になっているとか。
■かつて短期間ながら存在した最上新西国巡礼に関する僅かな資料は、山形市内の図書館で容易に閲覧できる。この後に道を辿る人無きにしもあらず、札所の現況として敢えて記した。
■かつて短期間ながら存在した最上新西国巡礼に関する僅かな資料は、山形市内の図書館で容易に閲覧できる。この後に道を辿る人無きにしもあらず、札所の現況として敢えて記した。
2012-06-03
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TOM
ぽんとけりゃにゃんとなくよーいよい
@rondino2106